とかくに人の世は生きにくい
とは夏目漱石の小説、草枕の冒頭の文章
どんなに時代が変化しても
いつの世も生きづらい人はいる
この令和の時代、2020年以降
ますます今までの常識では生きてはいけない人が増えている
学校に行けなくなる子どもたちは増え
会社に行けなくなる大人たちも増えてる
人身事故という名の悲しみが増え続ける
幸せになることを目指して社会は発展してきたはずなのに
なんだかそうでもないみたい・・・
わたしも御多分にもれず
当たり前の、生活は、目の前で崩れ去っていった
普通の、ごく普通の幸せが続くと信じて疑わなかった
大学卒業して就職して結婚、出産、マンション買ってね
普通に歳をとっていくと思ってましたよ
2012年の3月までは―――
それが当時小5長男が行方不明からの不登校で生活は一変し現在に至る。。。
生きづらさってなに?
どんな人間にだって
生きてれば困難や壁にぶち当たることはある
でもね、生きづらさを抱える人間は
四方八方が壁に囲まれてるように閉塞感、孤独感の中で生きている
自分は幸せにはなれない、と思ってる
なぜなら、普通じゃないから
普通ってなに?
普通とはみんなと同じことができるってことかな
みんなって誰やねん!って思うけど
だいたいの人ができることができなかったり、できてもそれをするのが大変だったり
とにかくみんなに合わせるのがいちいち大変で疲れてしまう
でも、最初は頑張る
みんなと同じでいたい、安心したいから…
だから、めちゃくちゃ頑張る
頑張る頑張る頑張る
でも、そのうち、その頑張るのもできなくなってしまう
人の何倍も何十倍も頑張るから
生きるエネルギーを消耗してしまって動けなくなる
ただ ただ、みんなの普通に合わせるだけのことができなくなる
そうしたいけどできない悲しみ
それが生きるのがキツい=生きづらさになる
それが閉塞感であり孤独感になる
本来、みんな、同じことをする必要はなくて
そもそも一つとして同じ魂はなく
それぞれにやることがあってこの地球に来ている
それでも今の世の中が”同じ”を求める世界になってるからおかしなことになっているだけ
お腹にいる時から平均値の中に入れられ
生まれてからも一直線に幼稚園保育園小学校中学校高校…集団一律行動を余儀なくされる
わたしもそれが当たり前で普通のことと思ってた
いや、当たり前すぎて何も感じなかった、長男が不登校になるまでは
はみ出た者だから見えた景色があった
わたしの中の生きづらさ
最初は孤独だった
でも、その景色はいつしかわたしに自由を与えてくれた
もう、同じにはなれない、元には戻れない
いや、同じにならなくていいのならこんなに楽なことはない
そう、思えるまでになった
長男だけじゃなかった
わたしが、本当は普通じゃなかった
それを認めるきっかけをくれたのは長男の不登校
見えないものが見えることはわたしの中では恐怖でしかなかった
いやでいやで仕方がなかった
だから、封印した
それなのに、次に目覚めたら
それこそ見えるものが変わっていた
美しい見えないものたちに囲まれていた
宇宙は優しくそして美しくわたしを温かく包み込んでくれていた
世界には希望のひかりがあると思えた
わたしの普通じゃない、その生きづらさは希望に変わった
遠回りしたかもしれないけれど
なんとなく本来の自分の道に戻ったような氣もした
たくさんの涙があって悲しみや苦しみもあった
もしかしたら、これからもあるかもしれない
けれど、希望のひかりがあると思えるから生きていける
今は、生きづらさしかない人もたくさんいると思う
でも、必ず、希望に変えることができる
わたしは今までもこれからもそのお手伝いをする
希望のひかり
わたしのエネルギー講座を受講くださった方から連絡があった
数年引きこもっていた息子さんのことで
生きづらさである完璧主義なところを良い方向に活かすことにした
とお母さんより報告を受けた
そう!
そんな風に希望に変えていける
と改めて思った
大人も子どもも誰も彼も幸せになっていい
それは誰かから与えられたものではなく
自分だけの幸せがあるから
それを一緒に見つけるのか、創るのかやっていく
生きづらさは懸命に生きてる証です
だから、あなたに一番に幸せになってもらいたい
龍たちがそれでいい、と応援してくれてる🐉
最後までお読みくださりありがとうございます♪
生きづらさを可能性に変えるエネルギー講座